大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)480号 判決

原告(反訴被告)

高田愛三

被告(反訴原告)

山本日出

ほか一名

主文

一  別紙事故目録記載の交通事故に基づく原告(反訴被告)の被告ら(反訴原告ら)に対する損害賠償債務は存在しないことを確認する。

二  被告ら(反訴原告ら)の反訴請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、被告ら(反訴原告ら)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴について)

一  請求の趣旨

1 主文第一項と同旨

2 訴訟費用は被告ら(反訴原告ら)(以下「被告ら」という。)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告(反訴被告)(以下「原告」という。)の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴について)

一  請求の趣旨

1 原告は、被告山本日出(以下「被告山本」という。)に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月一〇日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 原告は、被告小滝智恵子(以下「被告小滝」という。)に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月一八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は原告の負担とする。

4 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文第二項と同旨

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

第二当事者の主張

(本訴について)

一  請求原因

1 別紙事故目録記載の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

2 原告は、加害車の運行供用者として、自賠法三条により、被告らに損害があれば、その賠償をすべき責任がある。

3 しかし、本件事故は、原告がオートマチツク車である加害車を運転して本件事故現場である六甲北有料道路料金所に差しかかつたところ、先行の李康雄運転、被告ら同乗の被害車が料金支払中であつたことから、加害車を被害車の後方二・四メートルの地点にいつたん完全に停車させ、原告において、料金支払のため運転席左斜め後方のボツクスから小銭を取ろうとした際、踏んでいたブレーキペダルから足が浮いたため、加害車が、時速約四キロメートルの速度で前進して、停車中の被害車に接触したというものであり、その際、加害車及び被害車は接触地点にそのまま停止していたのであるから、その際の衝撃は極めて軽微であり、被告らが傷害を負うようなことはあり得ない。

4 ところが、被告らはいずれも本件事故により傷害を負つたと主張し、原告に対し、右各傷害に伴う損害賠償金の支払を求めている。

5 よつて、原告は、本件事故に基づく原告の被告らに対する損害賠償債務が存在しないことの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1及び2の事実は認める。

2 同3の事実のうち、本件事故現場である六甲北有料道路料金所付近において、加害車が、李康雄運転、被告ら同乗の被害車に追突したことは認めるが、その余の事実は争う。

3 同4の事実は認める。

(反訴について)

一  請求原因

1 交通事故の発生

本訴請求原因1の事実と同一であるから、ここにこれを引用する。

2 原告の責任原因

原告は、加害車の運行供用者として、被告らの人身損害につき自賠法三条による賠償責任がある。

3 被告らの受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 被告山本

(1) 傷病名

被告山本は、本件事故により、外傷性頸部症候群、頭部外傷Ⅱ型、両肩鎖関節損傷、腰椎椎間板障害、腹部内臓損傷(膵損傷)の傷害を受けた。

(2) 治療期間及び医院

(イ) 入院 神吉外科医院

昭和六〇年五月一三日から同年九月一八日まで(一二九日)

(ロ) 通院 神吉外科医院

昭和六〇年九月一九日から同年一〇月七日まで(実日数一五日)

(ハ) 入院 甲南病院

昭和六〇年一二月二五日から昭和六一年一月二七日まで(三四日)

(ニ) 通院 甲南病院

昭和六〇年九月三〇日から昭和六一年三月一〇日までの右(ハ)の期間を除く期間(実日数一八日)

(但し、昭和六〇年九月三〇日から同年一〇月七日までは、神吉外科医院及び甲南病院において重複して治療を受けた。)

(3) 後遺障害

被告山本は、昭和六一年三月一〇日症状固定の診断を受けた。しかして、同被告には、後遺障害として、「頸椎腰部の運動制限、伸展及び左回旋時に頸部から左方に痛みが生じる、左側上腕神経叢部に圧痛、左側C2以下足部までの知覚異常、左上腕三頭筋・左前脛骨筋・長母趾伸筋に筋力低下」との他覚所見のほか、頭痛、ふらつき、吐き気、左耳鳴り、腹痛等の自覚症状が存在しているところ、右症状は、自賠責保険後遺障害等級一二級一二号に該当する。

(二) 被告小滝

(1) 傷病名

被告小滝は、本件事故により、外傷性頸部症候群、頭部外傷Ⅱ型、腰椎椎間板障害、両肩鎖関節損傷の傷害を受けた。

(2) 治療期間及び医院

通院 神吉外科医院

昭和六〇年五月一三日から昭和六一年三月一八日まで(実日数一七一日)

(3) 後遺障害

被告小滝は、昭和六一年三月一八日症状固定の診断を受けた。しかして、同被告には、後遺障害として、「第六、七頸椎椎間腔狭小化、第五腰椎―仙骨間狭小化著しい、バレリユー症状等」との他覚所見のほか、頭痛、頸痛、めまい、立ちくらみ等の自覚症状が存在しているところ、右症状は、自賠責保険後遺障害等級一二級一二号に該当する。

4 被告らの損害

(一) 被告山本

(1) 入院雑費 金一七万九三〇〇円

被告山本は、本件事故による傷害のため、合計一六三日間入院加療を受け、その間要した入院雑費は一日あたり金一一〇〇円を下らない。

(一一〇〇円×一六三日=一七万九三〇〇円)

(2) 休業損害 金六〇六万円

被告山本は、本件事故当時、肩書住所地において、「バンビ」の屋号で昼間は喫茶、夜間はスナツクを営業していたところ、右「バンビ」の売り上げは一日金五万円前後、一か月の売上げは金一〇〇万円を下らず、これから毎月の人件費金二〇万円(パート昼、夜各ひとりずつ)、コーヒー代・水光熱費等の必要経費約金四〇万円を控除した毎月の純利益は金四〇万円を下らなかつた。また、被告山本は、高野山北室院別院籠峰寺の役員をつとめ、自宅を信者の連絡場とし、大師像をまつつていたが、その信者からお布施を受領し、その中から毎月金三〇万円を下らない金員を取得していた。

右のとおり、被告山本は、控え目に見ても毎月金六〇万円を下らない収入を得ていたから、同被告の休業損害を、本件事故日より症状固定時の昭和六一年三月一〇日まで一か月金六〇万円の割合で算出すると、金六〇六万円(六〇万円÷三〇日×三〇三日=六〇六万円)となる。

(3) 逸失利益 金三五九万二五一二円

被告山本の後遺障害は、前述のとおり自賠責保険後遺障害等級一二級に該当するから、労働能力喪失による損害は、同被告の平均年収金七二〇万円(六〇万円×一二か月)に労働能力喪失率一四パーセントと新ホフマン係数三・五六四(昭和七年一月二日生、労働能力喪失期間四年)を乗じると、金三五九万二五一二円(七二〇万円×〇・一四×三・五六四=三五九万二五一二円)となる。

(4) 慰謝料 金三三〇万円

(イ)  入通院分 金一五〇万円

(ロ)  後遺障害分 金一八〇万円

(5) 弁護士費用 金一〇〇万円

被告山本は、本件訴訟を被告らの訴訟代理人に委任し、認容額の一〇パーセントを報酬として支払う旨を約したから、その弁護士費用は金一〇〇万円を下らない。

(6) 損害のてん補

被告山本は、本件事故による損害のてん補として、原告から金二七八万円の支払を受けた。

(7) 以上のとおり、被告山本の損害は、右(1)ないし(5)の合計額から(6)を控除した金一一三五万一八一二円を下らない。

(二) 被告小滝

(1) 休業損害 金三一一万円

被告小滝は、本件事故当時、神戸市三宮のクラブでホステスとして稼働し、一か月平均金三〇万円を下らない収入を得ていたから、同被告の休業損害を、本件事故日より症状固定時の昭和六一年三月一八日まで一か月金三〇万円の割合で算出すると、金三一一万円(三〇万円÷三〇日×三一一日=三一一万円)となる。

(2) 逸失利益 金一七九万六二五六円

被告小滝の後遺障害は、前述のとおり自賠責保険後遺障害等級一二級に該当するから、労働能力喪失による損害は、同被告の平均年収金三六〇万円(三〇万円×一二か月)に労働能力喪失率一四パーセントと新ホフマン係数三・五六四(昭和三四年一二月二〇日、労働能力喪失期間四年)を乗じると、金一七九万六二五六円(三六〇万円×〇・一四×三・五六四=一七九万六二五六円)となる。

(3) 慰謝料 金二六〇万円

(イ)  通院分 金八〇万円

(ロ)  後遺症分 金一八〇万円

(4) 弁護士費用 金六〇万円

被告小滝は、本件訴訟を被告らの訴訟代理人に委任し、認容額の一〇パーセントを報酬として支払う旨を約したから、その弁護士費用は金六〇万円を下らない。

(5) 損害のてん補 金一三八万円

被告小滝は、本件事故による損害のてん補として、原告から金一三八万円の支払を受けた。

(6) 以上のとおり、被告小滝の損害は、右(1)ないし(4)の合計額から(5)を控除した金六七二万六二五六円を下らない。

5 よつて、原告に対し、被告山本は、前記損害金一一三五万一八一二円の内金五〇〇万円及びこれに対する本件事故後の症状固定日である昭和六一年三月一〇日から右支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告小滝は、前記損害金六七二万六二五六円の内金三〇〇万円及びこれに対する本件事故後の病状固定日である昭知六一年三月一八日から右同率の遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否及び被告の主張

1 請求原因1(交通事故の発生)及び2(責任原因)の各事実は認める。

2 同2の事実は否認する。その理由は、本訴請求原因3に述べたとおりである。

3 同3及び4の事実はいずれも否認する。

被告らは、本件事故によつて何ら受傷していないのに受傷を吹鳴して治療を受け、虚偽のあるいは強い被害感情に基づく愁訴によつて大層な傷病名を付けて貰い、全く必要のない入・通院を繰り返していたものである。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

第一原告の本訴請求(債務不存在確認請求)について

原告主張の請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがなく、本件事故に基づく原告の被告らに対する各損害賠償債務は、後記第二で述べるとおり存在しないと認められるところ、被告らがそれぞれ損害賠償義務が存在すると主張していることは、本件訴訟上明らかである。

そうすると、原告の債務不存在確認を求める本訴請求は理由がある。

第二被告らの反訴請求(損害賠償請求)について

一  請求原因1(交通事故の発生)及び2(責任原因)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、被告ら主張にかかる傷害の存否ないし本件事故との因果関係について判断する。

1  被告山本について

(一) 先ず、いずれも成立に争いのない甲第一四号証の一、三、五、八、一一、一四、一八、二〇、被告山本日出本人尋問の結果により成立を認めうる乙第一号証によると、被告山本は、本件事故の翌日である昭和六〇年五月一三日神吉外科医院で診察を受け、同月一四日から同年九月一八日まで同医院に入院し、同月一九日から同年一〇月七日まで同医院に通院し、同年九月三〇日から同年一〇月一三日まで甲南病院に通院し(したがつて、同年九月三〇日から同年一〇月七日までは神吉外科医院と甲南病院とに重複通院した。)、同月一四日から昭和六一年一月二七日まで同病院に入院し、同月二八日から同年三月一〇日まで同病院に通院し、それぞれ治療を受けたこと、傷病名は、神吉外科医院では、昭和六〇年五月一三日付診断書においては外傷性頸部症候群とされていたが、同月二五日以降の診断書においては、外傷性頸部症候群のほか頭部外傷Ⅱ型、両肩鎖関節損傷、腰椎椎間板障害、腹部内臓損傷(膵損傷)も追加され、甲南病院では外傷性頸部症候群、腰部捻挫とされていることが認められる。

以上の事実からすれば、被告山本は、本件事故により右各傷害を負つたかの如く見えないではない。

(二) しかしながら、地方、右(一)で認定の事実に、前掲甲第一四号証の一、三、五、八、一一、一四、一八、二〇、乙第一号証、いずれも成立に争いのない甲第一号証、同第三号証の四、五、八、九、一一、一三、一八、同第五号証ないし第七号証、同第八号証の一ないし四、証人林洋の証言により成立を認めうる甲第二号証、証人神吉英雄、同林洋の各証言、被告山本日出、被告小滝智恵子各本人尋問の結果、鑑定の結果、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる(ただし、被告山本日出及び被告小滝智恵子の各供述並びに前掲甲第三号証の九、一一、一三の各記載のうち、後記採用しない部分を除く。)。

(1) 本件事故当日、原告は、オートマチツク車である加害車を運転し、神戸市北区有野町有野三七六三番地の一先の六甲北有料道路料金所手前に差しかかつたが、先行の李康雄(以下「李」という。)運転の被害車が料金支払中であつたところから、その後方約二・四メートルの地点に、フツトブレーキを踏んだ状態で加害車を停車させたところ、運転席左斜め下のボツクスから料金支払い用の小銭を取り出すのに気を取られてフツトブレーキから足が離れ、加害車が自動的前進して(オートマチツク車のクリープ特性に由来する。)同車前部バンパーを被害車後部バンパーに追突させたが、加害車は、被害車を押し出すことなくその場に停止した。本件事故後行われた実況見分の結果、加害車の前部バンパーには軽微な凹損が、また、被害車の後部バンパーにも軽微な凹損がそれぞれ認められた。なお、原告は、加害車の右凹損につき一切修理をしていない。

(2) 被害車には、本件事故当日、李の母である被告山本が助手席に、李の妻である被告小滝が後部座席中央に、李と被告小滝の二人の子供(五歳の男児と四際の女児)が後部座席の左右に乗つており、加害車から追突されたとき、被告山本は、身体を右後方にねじるようにして被告小滝の方を向き、身を乗り出すようにしていた被告小滝と談笑中であつた。被告両名は、本件事故後、病院には行かず、そのまま被害車に乗つて山崎町の籠峰寺(被告らが信仰している真言宗の寺)に参詣に行き、また、李と原告は、本件事故によつて全く受傷しなかつた。

(3) ところで、オートマチツク車である加害車が、クリープ特性により自動発進して二・四メートル進行したときの時速は、クリープ速度が高くなるエアコン作動時であつても時速五・五キロメートルを超えることがなく(本件事故当時は、五月中旬であるから、エアコンは作動していなかつたと推認され、時速は五・五キロメートルよりかなり低速であつたと考えられる。)、オートマチツク車の設計上、エンジン排気量によつて右の結果に差異が生じることはないとされているところ、加害車に大人一名が乗り、時速五・五キロメートルで、大人三名の乗る加害車に追突したときに加害車に生ずる衝撃加速度は〇・四六Gであり、本件事故当時のように、被害車に前記(2)で認定のとおり大人三名、子供二名の乗員があつたとすれば、右加速度の数値は〇・四六Gをさらに下廻ることが、自動車工学上の計算式から明らかである。

しかして、人体の頸部に加わるトルク(回転モーメント)の無傷限界値は、前屈六五ft―lb、後屈三五ft―lbであり、また、頭部を前後方に傾ける場合の屈曲角の限界値は前屈六六度、後屈六〇度であつて、これ以上のトルクが頸部に作用し、過屈曲が生じた場合にはじめて頸椎捻挫が発症することが、実験研究により明らかにされているところ、本件事故に際し、被害車に生じた前記〇・四六G程度の加速度は、自動車を運転する者が、日常何ら支障なく繰り返して体験している程度の衝撃であつて、かかる程度の加速度では、その乗員の頸部に加わるトルクはほとんどゼロで、後屈角も一二度にとどまるから、右乗員に過屈曲を生じることはあり得ないし、乗員がどのような姿勢を取つていたとしても、頸部や腰部にその組織を破壊するような力が負荷されることはない。

(4) 被告山本は、本件事故の翌日である昭和六〇年五月一三日、神吉外科医院に赴き、同医院の神吉医師に対し、本件事故による頭痛、頸部痛、腰痛、下肢放散痛、右上肢の著しいしびれ感、左上肢運動障害、著しい上腹痛と上腹部圧迫感、悪心、嘔吐感、食欲低下等を訴えて、同医師の診察を受けた。神吉医師は、(イ)被告山本の左上肢のしびれ、むかつき、頭痛、頸部痛、嘔吐感という愁訴と、他覚所見として、X線写真上、同被告の頸部のC四・五、C六・七に本件事故によつて生じた外傷に起因すると思われる新鮮な狭少化及び配列異常が認められることを根拠に、外傷性頸部症候群、頭部外傷Ⅱ型との傷病名を付し、(ロ)X線写真上、肩甲骨がずれているとか、肩甲骨の間が開いているといつた他覚所見は認めなかつたが、触診等により肩の痛みと手の動きの悪化が認められたことから、両肩鎖関節にダメージが加えられたと判断し、両肩鎖関節損傷との傷病各を付し、(ハ)上腹部の圧痛やむかつき、さらには上腹部に筋性防禦という刺激症状が認められたことから、肝臓や膵臓にダメージが加えられたと判断し、腹部内臓損傷との傷病名を付し、(ニ)さらに腰痛、下肢放散痛という愁訴を根拠に、腰椎椎間板障害との傷病名を付し、被告山本に対し、直ちに入院を指示した。なお、神吉医師は、右診察の際、被告山本に対し、本件事故の正確な態様や、追突による衝撃の程度について何も尋ねなかつた。

(5) 被告山本は、昭和六〇年五月一四日から同年九月一八日まで神吉外科医院に入院し、以来投薬、注射、理学療法、頸椎牽引、腰椎牽引等による治療が継続され、さらに同月一九日から同年一〇月七日まで同医院に通院して治療を受けた。神吉外科医院における傷病名は、被告山本の入通院期間中一貫して前記(4)で述べたものと同一であり、また、右期間中の神吉医師の作成にかかる各月の診断書の記載内容も、「最近頭痛、頸痛、耳鳴り、立ちくらみあり。椎骨動脈循環不全症状著しくある。悪心、嘔吐あり、バレリユー症状、ラセグ症状著しく、いらいら症状著しい。両上肢のしびれ感著しい。」との記載が反復されているのに対し、右期間中の診療録に記載されている被告山本の愁訴の中心は、単なる喉の痛み、頭痛、腹痛にすぎず、その中でもとりわけ喉の痛みを訴えていた回数が極めて多い。また、本件事故によつて、診断書記載の如く腰椎椎間板障害が生じたものとすれば、被告山本は、歩行はもとより、食事、トイレにも介助を必要とした筈のところ、同被告は、そのような介助を必要としなかつた。

(6) 次いで、被告山本は、同年九月三〇日甲南病院を受診し、担当医師に対し、「本件事故によつて頭部に衝撃を感じ、左手に放散痛、頸部痛があつたので、事故の翌日、神吉外科医院を受診し、X線写真上頸椎のずれと腰部の異常を指摘された。」旨を説明するとともに、頭痛、喉の痛み、一〇分ないし二〇分間も座つておれないこと、両腕を伸展すると時々痛みがあること、視力障害、耳鳴り、嘔吐感等を訴えたところ、外傷性頸部症候群、腰部捻挫と診断され、同年一〇月一三日まで同病院に通院して治療を受けたが、同月一四日からは同病院に入院し、以後退院する昭和六一年一月二七日までの間、安静、薬物療法、理学療法による治療を継続して受けた。被告山本の右入院時における主訴は、頭・頸部から両肩部にかけての痛み、腰から大腿部にかけての痛み、視力低下、耳鳴り等であつたが、独歩にて入院し、その歩行状態は良好であつた。また、被告山本は、右入院期間中、ふらつき、嘔吐感、耳鳴り、頸部痛、両上肢放散痛、腰痛等多彩な症状を訴えていたが、入院中の食事は、常食を全量摂取している日の方が多かつたし、二〇日間近くも外泊し、外出も少なくなかつた。

(7) なお、甲南病院におけるX線写真の所見によると、被告山本の頸椎O五・六、O六・七の前方及び後方に明らかな加齢現象であることを示す骨棘形成が認められ、腰椎X線写真上の所見では腰椎に何ら異常が認められなかつた。また、同病院における診察によつて、被告山本の訴えた視力低下は、以前から白内障に罹患していたことによるものであり、また同被告の喉の痛みは扁桃炎に罹患しているためであつたことがそれぞれ判明したが、このような眼や喉疾患があると、交通事故と関係のない愁訴がよくなされることが、医学上多く経験されている。以上の事実が認められ、右認定に反する被告山本日出及び被告小滝智恵子の各供述部分並びに前掲甲第三号証の九、一一、一三の各記載部分はこれを採用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(三) しかして、右に認定したところによると、先ず、本件事故により被告らが受けた衝撃は、普通に自動車を運転して走行する場合でもしばしば体験する程度の極めて軽微なものであつて、被告らは頸部に全く衝撃を受けていないか、ほとんど衝撃を受けていなかつたと認められるから、この程度の衝撃で、頸椎捻挫、頸部損傷等いわゆるむち打ち症の発症原因である頸部の過屈曲を惹起するとは到底考えられないというべきである。

さらに、神吉医師が被告山本の症状に付した傷病名の根拠を仔細に検討するならば、右傷病名のうち、外傷性頸部症候群、頭部外傷Ⅱ型については、被告山本の愁訴の他に、他覚所見として、X線写真上頸椎の一部に新鮮な狭少化と配列異常が認められたことを根拠としているところ、神吉医師の指摘する右頸椎の狭少化等は加齢現象によるものであることが、甲南病院におけるX線写真上の所見によつて明らかにされているし、同病院における腰椎のX線写真では腰椎に何らの異常も認められないから、結局、神吉医師の付した傷病名は、すべて被告山本の愁訴のみに基づくものであつて、客観的な他覚的所見と目すべき資料は皆無であり、要するに、同被告が痛いと訴える部位にはダメージが生じているというだけの極めて根拠の薄弱なものと言わざるを得ない。

そして、以上の諸点に、神吉医師作成の各診断書に記載されている被告山本の愁訴の内容と診療録に記載されているそれとが必ずしも一致せず、また、甲南病院に入院中の同被告の愁訴の内容と入院態度が著しく乖離していること被告山本が、前記入院中、本件交通事故とは無関係の白内障や扁桃炎に罹患し、これによる症状が発現していたのが窺われること等を併せ考えるならば、被告山本は、各医師に対し、本件事故による衝撃によりむち打ち症になつたと装つて前記のような内容の愁訴をなしたものであり、他方、医師の側でも、何ら他覚所見がないのに、右愁訴をそのまま鵜呑みにした結果、前記各傷病の傷害を負つた旨誤信し、しかも、被告山本の愁訴に応じ漫然と同種治療を継続していたものというべきである。

2  被告小滝について

(一) 先ず、いずれも成立に争いのない甲第一五号証の一、三、五、七、九、一一、一四、一六、一九、被告小滝智恵子本人尋問の結果により成立を認めうる乙第二号証によると、被告小滝は、神吉外科医院に本件事故の翌日である昭和六〇年五月一三日から昭和六一年三月一八日まで通院(実日数一七一日)し、治療を受けたこと、傷病名は、外傷性頸部症候群、頸部外傷Ⅱ型、腰椎椎間板障害、両肩鎖骨関節損傷とされていることが認められる。

(二) 他方、前掲甲第一五号証の一、三、五、七、九、一一、一四、一六、一九、乙第二号証、いずれも成立に争いのない甲第九号証の一ないし九、証人神吉英雄の証言、鑑定の結果、並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 被告小滝は、本件事故の翌日である昭和六〇年五月一三日、神吉外科医院に赴き、同医院の神吉医師に対し、本件事故による著しい頭痛、頸痛、頸椎神経根刺激症状、腰痛、下肢放散痛を訴えて、同医師の診察を受けたところ、同医師から、外傷性頸部症候群、頸部外傷性Ⅱ型、腰椎椎間板障害、両肩鎖関節損傷と診断された。右傷病名のうち外傷性頸部症候群との診断については、他覚所見として、X線写真上、被告小滝の頸椎C四、五、六、七に新鮮な狭少化、配列異常が認められることがその根拠とされた。なお、神吉医師は、被告小滝に対しても、本件事故の正確な態様や、追突による衝撃の程度について何も尋ねなかつた。

(2) 被告小滝は、昭和六一年三月一八日まで同医院に通院し、その間、投薬、注射、理学療法、牽引等による治療を継続して受けたところ、神吉外科医院における傷病名は、被告小滝の通院中一貫して前記(1)で述べたものと同一であり、また、右期間中の神吉医師の作成にかかる各月の診断書の記載内容も、「頸椎神経根刺激症状著しい。バレリユー症状持続中。左頸部より左肩左上肢にかけて激痛あり、頸椎回転側屈運動激痛あり。左上肢のしびれあり。腰痛下肢放散痛著しい。」との記載がほぼ反復されているのに対し、右期間中の診療録に記載されている被告小滝の愁訴の中心は、被告山本の場合と全く同様、単なる喉の痛み、頭痛、腹痛にすぎず、その中でもとりわけ喉の痛みを訴えていた回数が極めて多い。また、本件事故によつて、前記(1)で述べた如く頸椎の一部に狭少化、配列異常が生じたとするならば、歩くことは絶対不可能であり、通院による治療など到底考えられないとされている。

以上の事実が認められ、他に、右認定を左右するに足る証拠はない。

(三) しかして、本件事故により被告らが受けた程度の衝撃で、いわゆるむち打ち症の発症原因である頸部の過屈曲を惹起するとは到底考えられないことは既に前述したとおりであること、また、神吉医師の指摘する被告小滝の頸椎の一部の狭少化、配列異常も多分に疑問があり、結局、同医師の付した傷病名も、被告山本の場合と同様、被告小滝の愁訴のみに基づくものであつて、客観的な他覚所見と目すべき資料が皆無であり、根拠の薄弱なものと言わざるを得ないこと、さらに、神吉医師作成の各診断書に記載されている被告小滝の愁訴の内容と診療録に記載されているそれ(しかも、診療録の記載内容は、被告山本とほぼ同一である。)とが一致していないこと等を総合して考えるならば、被告小滝も、医師に対し、本件事故による衝撃によりむち打ち症になつたと装つて前記のような内容の愁訴をなしたものであり、他方、医師の側でも、何らの他覚所見がないのに、右愁訴をそのまま鵜呑みにした結果、前記各傷病の傷害を負つた旨誤診し、しかも、被告小滝の愁訴に応じ漫然と同種治療を継続していたものというべきである。

3  そうすると、被告らに前記各傷病があるとの診断があつたとしても、右診断の前提となつた被告らの愁訴自体に誇張と虚偽が存し、その真実性に強い疑念が存し、ひいては診断そのものに疑問があることが認められるから、右診断のみによつて被告らが本件事故により受傷したとの事実を認めることはできないというほかなく、他に、被告らの右受傷の事実を認めるに足りる証拠はない。

三  よつて、被告らの反訴請求は、いずれもその余の点について判断するまでもなく、理由がないことは明白である。

第三結論

異常のとおりであつて、原告の債務不存在確認を求める本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、被告らの各損害賠償を求める反訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦潤)

事故目録

1 日時 昭和六〇年五月一二日午前一一時五〇分頃

2 場所 神戸市北区有野町有野三七六三番地の一先六甲北有料道路料金所付近

3 車両 イ 普通乗用車(神戸五九ふ一八二八、以下「加害車」という。)

右運転者 原告(反訴被告)

ロ 普通乗用車(神戸五八に二二九一、以下「被害車」という。)

右運転者 訴外山本こと李康雄

4 事故態様 右六甲北有料道路料金所付近で、料金支払いのため停車し、被告両名(反訴原告両名)が同乗していた被害車に、加害車が追突した。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例